最初にゾゾと海に行ったのは、私の母が、ゾゾに言い寄ったあのとき、まさにその日でした。
キャンプに行ったことがない、というので、アウトドアに少し慣れていた両親に連れて行ってもらったのです。館山だったと思います。
今でこそミャンマーの西の海岸線に「ガパリ」や「チャウンター」「グエサン」といった人気ビーチリゾートがいくつかありますが、20年前というとそうしたビーチが一般の人にも知られ始め、長いお休みに家族で出かけるようになってきました。
しかも、ヤンゴンからビーチまで行くには、デコボコの道を十何時間、何十時間もかけて、まさに命懸けで遊びに行ったものです。
川を越えるフェリーなんかも、炎天下で3、4時間待つのは当たり前で、パンクもたびたび発生。
そのたびに女性、子どもたちは車の中に閉じこめられ、近くの村まで人を探しに行ったりしたのです。電話など、ほとんどない地域でしたから。
ともあれ、館山のキャンプ場では、テントを組んだり、自炊をしたり、それからビーチのひとときも楽しく過ごしていました。
ゾゾと私は、持参したビニールボートをふくらませて、ちょっと波にのってふわふわしてみよう、と海に出ました。
ゾゾは「ダイジョウブ、ダイジョウブ」とプラスチックのちゃちなオールで漕いで、ビーチから離れていきました。
私「あまり遠くに行くとコワいからやめようよ」
ゾゾ「ダイジョウブ、ダイジョウブ」
そのとき、ちょうど波が引いていく時間だったのでしょうか、軽いボートは気づかぬうちにかなり沖に流され、戻れなくなっていました。
私は、コワくなり、ビーチで甲羅干しをしていた両親に、「助けて~」と手を振りました。しかし、両親は気づいて、手を振り返しました。私たちが遊んでいると、まだ思っていたのです。
しかしそのうちなにかおかしいと思ったのでしょう。
両親は手を振るのをやめて、しばらくこちらを見ていました。
私たちは、たまたま近くでウィンドサーフィンをしていた男の子に、ワラをもすがる思いで助けを請いました。
私「すみません、流されてしまって戻れなくなってしまったんですが、助けを呼んでいただけますか?」
男の子「ボクもウィンド初心者で流されてて戻れないんです」
がーん。
不安に押し潰されそうになりつつ待つこと数分。このまま流されてしまうのかと怖くて頭はまっ白。
そのとき、ビーチからマリンジェットが近づいてきました。救世主です。
マリンジェットお兄さん「ビーチにいるご両親から様子が変だと言われて来ました、大丈夫ですか?」
ゾゾ「ダイジョウブじゃないです!」
そうして私たちはロープを握らせてもらい、ビーチに連れて行っていただき助かることができました。もちろん両親からは、後先考えて行動しろ! と叱られ、マリンジェットのお兄さんにはビール1ケースをお礼しました。
ゾゾの「ダイジョウブ」という言葉にのせられたわけではありませんが、彼は基本的に「万が一」ということを考えないタイプです。ミャンマー人全員がそういうわけではないと思いますが、「一家の大黒柱に何かあったら家族が路頭に迷う」という考え方は、強くはありません。
「何かあったら親族がお世話をするのが当たり前」という考えがあるからでしょう。そのためほんの少し前まで、生命保険というものがミャンマーにはありませんでした。(最近は、日本の会社が進出したという聞きます)。
「ボクは死ぬわけない」と考え、ゾゾは生命保険など絶対に要らないと言い張ります。(でも、私はこっそりかけています、何かあったら大変ですから。)
彼から見ると、日本人は保険をかけ過ぎる、と言います。保険貧乏という言葉もあるくらいですから、そういう面はあるのかもしれません。でも何かあったときの安心になるのは確かなので、それは価値観の違いですね。
「万が一」ということを考えないので、戸締まりもユルいです。
「泥棒なんて入るわけない」と考えて、カギの扱いが乱雑ですし、「人が覗くわけない」として、通路側の窓を全開にしていたりします。油断して着替えをしていると、窓が開いていた、ということもしばしばです。対策を急がないといけません(^_^;