蚊と南京虫にやられた一夜が明けた朝5時半。
ゾゾの妹ちゃん、オーちゃんの声ではっとして慌てて飛びおきました。
昨夜から、「お母さんの三回忌だから、お坊さんが6時に来てくれる予定なので5時起きね」と言われていたのでした、が、すっかり南京虫騒動で疲れきって、二度寝をしてしまったのです。オーちゃんは、シャワーも浴びて、お化粧もして、上等なロンジーを履いていました。一方私は、まだ寝て起きたままのTシャツとヨレヨレの綿パン…。最悪です。
「あと30分しかないからいそいで!」といわれ、アタフタしている暇はないと分かり、すぐに準備を手伝いはじめました。メインのモヒンガーは、近所の仕出屋にお願いし、そのほか果物やゼリー、スポンジケーキなどを皿に盛っていきます。チョコレートケーキ、ジュエゴーティと呼ばれるザボンのようなみかん、ジャックフルーツ、バナナで作ったサヌエンマキンというケーキ、それから甘い紅茶。
そうこうしているうちに、僧侶がいらっしゃいました。水掛祭りの前は、寄進をする家庭が多く、大忙しらしく、一番年配の僧侶は、ちょっと遅れてくるということで、若い僧侶3人でお経を始めてくださいました。
自宅に来ていただくと仏壇のある部屋にお通しして、上座に座ってもらい、一家の人間は下座に並び、正座するか、しゃがむ格好で、両手を合わせ、指をついて、頭を下げる、これを3回くりかえします。これは1回目は仏様に、もう1回は仏様が残した教えに、そしてもう1回は僧侶への敬意をあらわします。
複数の僧侶がならび、代表的な方がお経や法話をとなえてくださいます。ほかの僧侶は、目を閉じてじっとしています。寝てるのかな~なんてときどき失礼なことを、思ったりします…。
ようやく長老(一番右)が到着し、若い僧侶に代わり、亡き父、母の名を確認して、読経をしていただきました。
分かり難いですが、読経にあわせて、お坊さんの前でお兄さんが、銀の水入れから銀のコップに水をゆっくり入れています。
これはイェゼーチャ(水を落とす、というような意味)と呼ばれているもので、自分たちの行いの功徳が、亡くなった方をはじめ世界のあらゆる生き物に届くようにとの意味が込められているんだそうです。この間、先ほど聞いた義父や義母の名前を随所に入れながら、「父上や母上が彼の世で幸せにいられるようによいことをしなさい」といった感じで説法してくださるんです。
しかしこういうときの作法はいつまでたっても慣れません。立っていいのか、しゃべっていいのかとか。私の場合、写真撮っていいのか、とかも。でも、大抵のことは許されます。突然立ち上がって席を外す人もいますし、横の人とおしゃべり始める人もいますし、「写真とっていい?」と聞くと、「どんどん撮れ」と言ってもらえたりします。みんな寛容ですが、やはりひと言声をかけてから撮ると、場も和みます。「うちの妻は日本人で」という話になると、一気にくだけた雰囲気になり、「私の友だちは日本の板橋の僧院にいる」「先日、富士山にいってきた」とか。そうなると緊張がほぐれて、ようやくほっとします。
読経が終わると、お食事をしてもらいます。食事を載せたテーブルを、一家の人間が持ちあげて、僧侶がテーブルにちょんと触れます。
これは、「布施いたします」というのを意味する儀式で、このあと僧侶は食事をはじめます。
僧侶は軽く召しあがられると、別のアルー(寄進)もあるということで家をあとにしました。
そして、家のものが今度は食事をいただきます(^^)
仕出しのモヒンガーはどこのお店が聞きそびれましたがこれがおいしくて。モヒンガーはナマズのダシで作り、お米が原材料の発酵麺で食べます。お米の麺なんですが、ほんのりすっぱい。これは乳酸が発生しているのだそう。息子は、この麺が好きで、麺だけよく食べて、ミャンマー人に笑われています。
日本人だと、子供がうどんやそうめんをそのまま食べるのを笑って見てられます(よね?)が、モヒンガーの麺はちょっと笑えないようすで引かれます。すっぱいからでしょうかね。
モヒンガーは、個々に皿に盛ってもらった中に、ゆで玉子や、刻んだいんげん、豆を揚げたものや、香草、とうがらし、レモンなどを好みでプラスして食べます。
私は刻んだいんげんと、ぺージョー(豆を揚げたもの)とシャンサイ、とうがらし、レモンを入れるのが好き。とくにいんげんのプチプチ感がたまりません。
モヒンガーを食べるときは、ぜひ試してみてくださいね。
さてそうしてアルーと朝食が終わりました。このあとすぐにバガンとインレー湖を巡るカートリップに出発です!