もう20年くらい前のことなので、実ははっきりと覚えていないのですが、夫に出会ったころの私は、「舞い上がっていた」と妹に言われています。
「あんなカッコイイ人見たことない~!」「まるでジョン・ローンよ~」と、目をキラキラさせていたそうです。
当時のジョン・ローンといえば、「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」や「ラストエンペラー」出演のあとで、輝いていました。
夫と初めて出会ったのは、たぶん1994年の春、巣鴨の学校のグラウンドで開催されていたミャンマー人主催の水かけ祭り。当時はまだ小さな祭りでしたが、どんどん大きくなり、いまは毎年4月に飛鳥山などで行われています。
水かけ祭りは、ミャンマー最大のお祭りで、毎年4月に新年を迎えるために行われます。水をかけるのは、1年のけがれを流し、浄めるため。
その昔は小さな手桶のようなもので、好きな人に一番最初にかける、と恋が実るとか実らないとかといったロマンチックな話しもあったようです。その水も、背中にちょろっとかけてお浄めするといったような、上品なもの。ところがいまはスゴいです。水をかけるのに消防車用のホースなどで、ビィヤーッとやったりします。
細い通りでも、氷水を作って、歩いて来る人にひっかけます。この祭りの間は、国中が無礼講のノリで、いたずらっぽい笑いにあふれます。
また、大音量で音楽を流すのが常で、ある舞台では人気のある歌手が歌っていたり、ある舞台では踊り子さんが踊ったりします。ですが、当然、日本でそれをやってしまうと、住民の方から苦情が出るのも想像にかたくなく、案の定、ステージは中止されました。
そしてなんとなく淋しいムードの水掛祭りの会場に、私たちは到着。
私はとくに、ミャンマーに興味があったわけではなく、当時、テレビの番組制作をしていた友だちのYちゃんが、日本でのミャンマー人難民認定第一号だった方に会いに行くというので、ついていきました。会場にはフリマのスペースがあり、会場を囲むようにミャンマー料理の屋台や雑貨店が並んでいたように思います。
難民の認定を受けた方と会い、ひとしきり話をしたあと、私たちはせっかくなので、ミャンマーの食べ物を食べてみようということで、屋台のひとつに立ち寄りました。オススメされるままに、ミャンマーの国民食ともいえるモヒンガーを注文。
ところがもう売り切れ。で、どうしようかと戸惑っていると、その店の椅子に座っていた、たわしが伸びたようなボウボウ頭の男性が、「ソーリーソーリー」なんて調子よく、こちらに笑いかけてきました。なんだか明らかに酔っ払っている感じ。
そう、この酔っ払ったミャンマー人が、いまの夫なのですねえ。
そのまま笑って通りすぎればよかったのですが、そのお店の人が、
「モヒンガーをごちそうできなかったから、ミャンマー料理をごちそうしたい」と言って、祭りの後にミャンマー料理の店に誘ってくれました。ボウボウ頭の人も一緒です。
ミャンマーの人とテーブルを囲むのも、料理を食べることも初めて。
いま思うと、あの日、大きな転機だったのかもしれません。
お茶っ葉の入ったサラダや、豚肉を煮こんだおかずなど、おかずが出て来るたびに、ご飯の上にどんどん載せてくれる人たち。
クセのある日本語で大きな声で話して、よく笑う人たち。
しかも、このお食事、ごちそうになってしまったんです。
「ミャンマーには、ワリカンという習慣はない」って。
「ごちそうしたかったから連れてきた」って。
まあ太っ腹。もてなし上手な人たち。
さてこのとき、夫はかなり酔っていて、店のカウンターで、しなだれるように一人で飲んでいました。
6人がけのテーブルが、友だちのYちゃんと、屋台のスタッフさんたちでいっぱいだったからです。
気の毒なので「こちらで一緒に話をしましょう」と声をかけました。
そしたら、
「ミャンマーの人たちは、日本人と話をするのがうれしいです。
だから友だちと、話ししてください。ボクは1人で平気です」と夫。
ちょっと驚きました。
友だちが喜ぶのが、自分もうれしい、という気持ち。
ミャンマーの人って、すごいな。いいな、って感じたのです。
このときのことは、20年たってもよく覚えています。
そして夫の心の持ち方も、その時のままです。
と、思っているのですが、よくよく考えると、あの時はもうほとんど酔い潰れていたので、動けなかったから、カウンターでかたまっていたんじゃないか、と思うフシも。
あとになって、「そんなこと言ったこと、覚えてる?」と聞いたら、「なにそれ?」って。
やっぱり酔っていたのか、ジョン・ローン(^^;)
To Be Continued